TVサヨウナラ

今や市街地のどこをみても伝統的な手法に基づく日本家屋で普通に住んでいる光景を見ることは殆ど無くなった。度重なる火災を防止するために建築基準法に延焼を押さえる規定を設けた事で作れなくなってしまった。またそれに合わせて競争の中で建築コストを削減し機械化による部品化を進めたことが現在の状況を作った要因として大きい。

一方、火災の大きな原因は台所の油、ストーブ、タバコの火。ガスコンロにしてもストーブにしても火災についての防止機能は充実し、タバコを吸う人も少なくなった。火災が頻発したのはオリンピックがあった頃までで、戦後直後に応急的に建てた住宅が主に燃えたものである。これらを考えると伝統的な建物が復活して不思議ないと思うが、いつの間にか住宅産業を地場産業として取り戻すには遠過ぎる産業化とデリバリーを構成し、職人も居なくなり、直ぐにはコストも物も人も追いつかないのが実態だ。

世の中は問題が起きて初めて誰かが何とか問題を解決しようとして動くものだ。それをするには大変な努力と苦労、そして勇気を伴うもので敬意に値するが利益は当人に還元されないことが多い。その後に資本力がある者が出て、他人の褌で相撲を取るが如く、利益を独り占めする。その後に多くの一般の人が通ってもペンペン草さえも生えていない。アメリカのゴールドラッシュも、あらゆる投資と呼ばれるゲームも、太陽光発電しかり、鉄道技術でさえそうだし、漁場の発見すらそうだ。世の中に歪みを起こすものは皆後からやって来て資本力を鼓舞して攫っていく。資本家や企業のそうした業界への参入に対してそれを阻止して、利権を確保しようとしても力関係からしても不可能に近い。

保護主義に対する批判はこの資本家や企業で働く従業員やその家族の為に築いて来た安定を壊すものでもある。安定が非民主的な癒着や特権を利用するからそうなる。5年で入れ替わって良いことも10年も20年も時間と金が掛かってしまう。いつの時代も同じでこれを繰り返す。世の中の進歩というのはこういう経過を踏んであるものだ。今勢いのあるところもやがては新しい波に取って代わられ、煙たがられる。

こうした抵抗に対する声は時に非情である。何故なら歴史と現実の問題を見ないでも大きな声にしやすいからである。何せマスコミが付いている。声を出すものは先導するものについていけば良いだけだ。では聞くが、あなたの付いていく指導者は誰なのか。

例えば原発のことで言うと、再稼働の声を聞けば無条件に反射的にフクシマから何も学んでいないと言う声が後を絶たない。そう言う人に限って北朝鮮の核ミサイルに対し声を上げない。何故だ。福島から学んだ事があると言うなら何故それを述べないのだ。つまり福島から学んだことは過去や現実から逃避し、見たくないものは消えろと言っているに過ぎないのでは無いか。反論があるなら行動で示してほしい。

沖縄で米軍基地の移転に反対したり、米軍の全面撤退を叫ぶなら、アメリカの核の傘下の元で機能している日本の安全保障で事が足りるのか。同時に法の整備も許そうとしない。現状でアメリカとの条約を破棄すれば集団的自衛権すら発動できない。いつまでに何をしてどうするべきなのか全体プランを示す事もなく、反対するのは提案になっていない。スタンスそのものが身勝手だ。そんなことで家族や近所に住む人を護れるのか。護れるはずはないではないか。反論は論評として分かりやくすまとめてもらいたい。

義理の父はもう10数年前に死んだ。陸軍部隊として南方戦線に送られ戦った人だ。フィリピンでの2年近い捕虜生活を経て新潟に帰った。帰って来て家族に聞かれたことがあったらしい。

あなたは何故戦争に行ったのか?と。

それには

家族と近所に住む幼い娘さん達の生活と将来を護りたかった

そう答えたそうだ。自分はもう歳なので戦争などに参加する機会もないだろうとは思うが、そのくらいの気持ちは持って生きていきたいと思っている。

政府が嫌いならそれも結構だが、72年間の間に無為に時間を過ごし、その結果として今があるのなら、それを他人の責任にするのではなく、現実を見つめなければならない。過去の経過とその理由を知るべきである。取り返しのつかないことも、まだ間に合うこともあるはずだ。それにどう言う手段を持ってそれに当たるのか、これは日本人の問題である。責任のないところで目の前にあることが目障りだと言って足を引っ張ってばかりいるのはいい加減やめて自らが解決に向かって知恵を出すことに参加すべきだろう。

先週の土曜日にTVを捨てることに決めた。日曜日に斜向かいの電気屋の大将と道であったのでその旨を伝え、依頼した。それから毎日のように顔を見るたびに話しかけてくる。今日もチャイムが鳴るから誰だろうと出て見ると電気屋の親父が何かをメモした紙を持って立っている。

これが今付いているTVの一覧で何年に取り付けたものか書いてある。ワシが思うにこれとこれはこっそり置いておいて、BSは外すがこれでアンテナもTVを捨てたからとNHKに連絡したら日割りで金を返してくれて、なおかつ見たい時にはこれで見れる

そんなに不思議なことなのだろうか。

私にとってTVは役割を終えました。もうTVの番組ではなくTVの本体そのものを見るのも嫌なのです

分かりました。明日の午後になりますが来てやります

TVを無くし受信料の支払いを止めたところで世の中にとって何になるものではない事くらい分かっている。

先ずは生活がどのように変わるか実感できることが楽しみである。

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